コーヒーの歴史とは?世界に広まった流れや有名な伝説を紹介|コーヒーラウンジ|ネスプレッソ プロフェッショナル

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コーヒーの歴史とは?世界に広まった流れや有名な伝説を紹介

2024/06
テーブルの上に置かれた3杯のネスレネスプレッソコーヒー

現代の私たちにとって、コーヒーはもはや「日常生活に欠かせない存在」になっているといっても過言ではありません。しかし、そのコーヒーがどのようにして人々に楽しまれるようになったのか、よく知らないという方も多いでしょう。

実はコーヒーには奥深い歴史があり、それを知ることでコーヒーをさらに楽しめるようになるかもしれません。そこで本記事では、世界各地にコーヒーが広まった歴史や伝説、さらにコーヒーマシンの歴史についても解説します。

コーヒー栽培が世界に広がるまでの流れ

コーヒーの豆を栽培をするコーヒー農家

コーヒーの歴史について、まずは「栽培」という観点から、コーヒーがどのように世界に広がったか見ていきましょう。

  • コーヒー栽培の始まりと広がり
  • 中東地域でコーヒーが栽培される
  • オランダが東南アジアでコーヒー栽培を始める
  • 中南米にもコーヒー栽培が広がる
  • 宣教師が東アフリカに持ち込む

コーヒー栽培の始まりと広がり

コーヒー栽培の始まりにはさまざまな説があります。現在のところ、9世紀ごろにはエチオピア付近ですでにコーヒーの実が食べられていた、という説が有力だと考えられています。ちなみに「コーヒー(Coffee)」という言葉は、コーヒーが発見されたエチオピアの「Kaffa(カッファ)」が由来だと言われています。それから人々の居住地域が広がるにつれて、コーヒーが栽培されるエリアも広がっていったのです。

中東地域でコーヒーが栽培される

それからコーヒーはアラビア半島に広がりました。当初は風味を楽しむ飲み物ではなく、「秘薬」として使用されていたようです。また、15世紀末のアラビアではイスラム教により飲酒が禁止されていますが、コーヒーが嗜好品として愛用されるようになりました。

さらに、15世紀にはイエメンでコーヒーが栽培され始めます。そこで栽培されたコーヒーが「アラビカ種」と呼ばれるようになり、現在私たちが慣れ親しんでいるコーヒーのほとんどがアラビカ種です。

オランダが東南アジアでコーヒー栽培を始める

17世紀後半には、オランダがアラビア地域からコーヒーの苗を手に入れ、植民地での栽培を試みるようになります。インドでの栽培に失敗したあと、インドネシアのジャワ島での栽培に成功しました。

それからはスマトラ島やスラウェシ島などにも栽培が拡大し、オランダを主軸としたコーヒー取引が世界で始まります。現在ではコーヒーというとアフリカのイメージが強いかもしれませんが、実は歴史を見てみるとアジアも極めて重要な役割を果たしてきたのです。

中南米にもコーヒー栽培が広がる

オランダにより東南アジアで行われるようになったコーヒーですが、今度は1706年にジャワ島からオランダに苗木が持ち込まれました。1714年にコーヒーの若木がフランスのルイ14世に送られて、1723年にガブリエル・ド・クリューというフランス海軍士官が、新たなコーヒー栽培地を開拓するために中南米へ向かいます。

彼がたどり着いたのはカリブ海のマルティニーク島で、気候がジャワ島に近いことからコーヒー栽培は成功を収めました。それからジャマイカ・ドミニカ・キューバ・コスタリカ・エルサルバドルと中南米全体にコーヒー栽培が拡大しました。さらに、別ルートで南米に持ち込まれたコーヒーが、ブラジル・ペルー・パラグアイ・メキシコ・コロンビアにも広がったのです。

宣教師が東アフリカに持ち込む

1715~1718年にかけてフランス人宣教師によってイエメンから持ち込まれたコーヒーが、アフリカ大陸の南東沖にあるフランス領ブルボン島で栽培されるようになりました。このコーヒーの品種は島の名前から「ブルボン」と呼ばれるようになり、甘い風味が特徴的でした。

やがて1893年にカトリック宣教師が東アフリカに持ち込み、イギリスの植民地下であるケニアにも広がります。現在ではケニア産のコーヒーが非常に有名ですが、このころからケニアは世界有数のコーヒー産地となったのです。

コーヒーが嗜好品として親しまれるようになるまでの歴史

コーヒーの実を手に取るコーヒー農家

現在ではさまざまな人がコーヒーを嗜好品として愛用していますが、このように世界中でコーヒーが消費されるようになるまでの歴史について見ていきましょう。なお、今回ご紹介するものはあくまで歴史であり、コーヒーの効果や効能を示すものではありません。

  • アラビアでの広がり
  • 中東地域での広がり
  • ヨーロッパでの広がり
  • アメリカでの広がり
  • 日本での広がり

アラビアでの広がり

6世紀前後のあるとき、エチオピアのヤギ飼いの若者がコーヒーの赤い実を発見しました。詳細は後述しますが、これが現在世界中に広がっているコーヒー文化の起源だとわれています。

やがて6~9世紀にかけてアラビア半島のイエメンにコーヒーが伝わり、9世紀ごろになるとコーヒー豆を乾燥させてすりつぶし、熱湯で抽出して飲まれるようになりました。つまり9世紀の時点で、コーヒーの基本的な飲み方が確立されていたということです。

しかし、当時のコーヒーは現在のような「嗜好品」ではなく、「秘薬」のようなものとして認識されていました。その理由は、コーヒーにはある種の覚醒効果があると考えられており、徹夜で行う瞑想や祈りに活用されていたからです。

中東地域での広がり

あるとき、コーヒー豆は煎ることで香りと風味が良くなることが発見されました。13世紀ごろのアラビア半島では、一般の人々がコーヒー豆を焙煎して風味を楽しむようになったといわれています。

さらに、1510年にはエジプトのカイロにコーヒーが伝わり、コーヒーを飲みながらくつろぐ「コーヒーハウス」が誕生しました。これがオスマントルコ帝国にも伝わり、1550年代にはイスタンブールに「カフヴェハーネ」というコーヒー店が誕生しました。

カフヴェハーネには「コーヒーハウス」のような意味があり、知識人や庶民が集う社交の場となりました。そこでは文学作品の朗読会や政治の議論などが行われ、コーヒーの消費はますます盛んになっていきました。

ヨーロッパでの広がり

そのころのヨーロッパでは、コーヒーは「異教徒の飲み物」だと見なされており、むしろ忌避されていました。そんなヨーロッパでコーヒーが親しまれるようになった背景として、当時のローマ法王がコーヒーの美味しさに心を奪われて、キリスト教徒の飲み物として認めたという逸話があります。この話の真偽はさておき、コーヒーにはそれほどの魅力があるということなのでしょう。

やがて1650年にイギリスのオックスフォードやロンドンでもコーヒーハウスが誕生し、コーヒーを飲みながら新聞や雑誌を読んだり、政治談議や世間話が行われたりするようになりました。17世紀末になるとコーヒーハウスの数は3,000軒にも増え、1671年にはフランスのマルセイユにも誕生し、オーストリア・ドイツ・イタリアにも広がりました。この当時、フランスで誕生したコーヒーの新しい飲み方が「カフェオレ」です。

アメリカでの広がり

北米大陸にコーヒーが持ち込まれたのは17世紀の中盤です。17世紀後半にはニューヨークがコーヒー豆の国際的な取引場になりました。ニューヨークやボストンにもコーヒーハウスが開店し、コーヒーが市民に親しまれるようになります。

さらに、1773年にイギリスの「東インド会社」が紅茶の貿易に重税を課すと、それに反発したアメリカ人は紅茶ではなくコーヒーを好むようになりました。それから独立戦争にアメリカが勝利すると、中南米や南米から大量のコーヒーが流入するようになり、価格も下がったことによって一気に普及したのです。

日本での広がり

日本にコーヒーが伝わったのは江戸時代のころだと考えられています。当時の日本は鎖国状態にありましたが、唯一開かれていた長崎県にヨーロッパからコーヒーが伝わりました。しかし、そのころの日本人にコーヒーはあまり受け入れられませんでした。明治時代に入ると、日本の一部の知識人がコーヒーを嗜むようになります。

日本のコーヒー文化が開花したのは明治後期です。1888年に日本初の喫茶店が東京の上野にオープンし、それから銀座に次々と喫茶店が登場します。現在とは異なり、知識人のための社交場として喫茶店が活用されていました。大正時代になると、コーヒーを低価格で提供する喫茶店が増え、大衆にも普及していきます。

第二次世界大戦時にはコーヒーの輸入が途絶えますが、戦後は一気に大衆文化としてコーヒーが根付きます。現在では企業のオフィスはもちろん、個人の家庭にもコーヒーマシンが導入されることが増えるほど、日本人にとってコーヒーは身近で大切な存在になりました。

コーヒーにまつわる代表的な3つの伝説

収穫されたコーヒーの実

コーヒーにまつわる伝説にはさまざまなものがありますが、ここでは特に有名な3つの伝説をご紹介します。なお、これはあくまで伝説上の物語であり、コーヒーの実際の効果や効能を示すものではありません。

  • ヤギ飼いのカルディの伝説(6世紀のエチオピア)
  • イスラム教の僧侶オマールの伝説(13世紀のイエメン)
  • 立法学者ゲマレディンの伝説(15世紀のアラビア半島)

ヤギ飼いのカルディの伝説(6世紀のエチオピア)

6世紀ごろのエチオピアの「カルディ」というヤギ飼いの伝説です。カルディはある日、赤い実を食べたヤギが夜になっても眠らずに騒いでいるのを見つけました。カルディもその赤い実を食べてみると、不思議なことに元気があふれました。カルディから話を聞いた修道僧も赤い実を食べると、夜中の修行でも眠気が吹き飛んだのです。それから赤い実は修道院の秘薬となりました。

イスラム教の僧侶オマールの伝説(13世紀のイエメン)

13世紀ごろのイスラム教僧侶のシーク・オマールの伝説です。現在のイエメンが位置するアラビアのモカでは、国王の怒りを買ったオマールが山に追放されました。食べ物を探していたとき、オマールは美しい鳥が赤い実を食べるのを見ました。オマールは赤い実を食べたり、スープのように煮出して飲んだりしました。やがてモカに戻ることができたオマールは、コーヒーを人々に広め、「モカの守護聖人」と呼ばれるようになりました。

立法学者ゲマレディンの伝説(15世紀のアラビア半島)

アラビア半島のアデンという地域の立法学者ゲマレディンの伝説です。研究に明け暮れて体調を崩したゲマレディンは、エチオピアで人々が赤い実を煮出して飲んでいたのを思い出します。そこでゲマレディンも飲んでみると、元気が出て体調が回復しました。ゲマレディンは修道士にこの飲み物をすすめ、それが職人や商人にも広まりました。

コーヒーマシンの歴史

ここまでコーヒーが飲まれるようになるまでの歴史を紹介しましたが、コーヒーが広まった立役者とも言えるコーヒーマシンの歴史についても解説します。

コーヒーマシンの種類

歴史の解説の前提として、コーヒーマシンは大きくわけて3つあります。

  • ドリップ式
  • エスプレッソ式
  • カプセル式

抽出方法が異なるため、コーヒー自体の味わいや、一度に抽出できる量なども異なります。

エスプレッソマシンの誕生と発展

コーヒーマシンの普及を後押ししたのがエスプレッソマシンの誕生です。エスプレッソマシンが開発されたのは1901年です。コーヒー豆に圧力をかけずに抽出するドリップ式やサイフォン式とは異なり、蒸気圧を利用して抽出する方法で、手早く多くのコーヒーを抽出できる方法として生み出されました。
エスプレッソマシンの進化によって、バリスタがいなくても手軽にエスプレッソコーヒーを提供できるようになったことから、これまで普及していなかった地域にも広まりました。エスプレッソ店のチェーン展開を成功させたスターバックス創業者のシュルツ(Howard Schultz)氏をきっかけに、北米でのエスプレッソブームが本格化しています。

カプセル式コーヒーマシンの登場

北米のエスプレッソブームの後、1986年にネスプレッソが日本で初めてカプセル式コーヒーマシンを発売しました。家庭やオフィスで手軽に本格的な味わいのバラエティ豊かなラインアップのコーヒーを楽しむことができる点や、アルミニウム製のカプセルにコーヒー豆を封入することにより鮮度が長時間保たれる点、誰でも簡単に操作できるマシンの機能性・手軽さなどが大きな魅力と言えます。

毎日のコーヒーに「ネスプレッソ」を

ネスレネスプレッソのオフィスコーヒーマシン「モメント 100」でコーヒーを淹れる男性

コーヒーは長い歴史を経て、私たちの生活に浸透していきました。その歴史や伝説を知ることで、日々のコーヒーの味わいもさらに深まるのではないでしょうか。近年では、コーヒーをより身近に楽しむために、ご家庭やオフィスに「コーヒーマシン」を導入される方が増えています。

「ネスプレッソ」のコーヒーマシンは、どなたでもワンタッチ操作で手軽に本格的なコーヒーを淹れることができます。
高品質でバラエティ豊かなコーヒーラインアップ、まるでプロのバリスタが淹れたような本格的な味わいコーヒーやミルクレシピを抽出できる専用マシン、お手入れの手間がかからないことなどが「ネスプレッソ」の魅力です。また、使用済みカプセルのリサイクルプログラムや、生産者の生活や生産地の支援、植樹活動など、コーヒーを取りまく社会へのサステナビリティへの取り組みを長きにわたり行っていることも特徴であるため、企業のCSR活動の一環としての導入もおすすめです。コーヒーマシンに興味がある方は、この機会にぜひご検討ください。

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