ミシュラン三つ星「カンテサンス」岸田周三シェフの繋ぐ未来【前編】|コーヒーラウンジ|ネスプレッソ プロフェッショナル

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ミシュラン三つ星「カンテサンス」岸田周三シェフの繋ぐ未来【前編】

2023/12
フレンチレストラン「カンテサンス」岸田周三シェフ

ミシュラン三つ星レストランのシェフとして、料理業界の最前線を走り続ける岸田周三氏。
2006年にカンテサンスを開業し、その1年後には史上最年少で「ミシュランガイド東京」初年度2008版にて三つ星を獲得されました。そこから18年間トップラインに立ち続け、業界のトップリーダーとして揺るがぬ存在を築かれたその背景には、どのようなキャリアの積み重ねがあったのでしょうか。
そして、今、料理業界の未来に想うこととは。

これから料理人を目指す人達に、不安と戦いながら夢を追う若者達に、同じ経験を経てトップシェフへと登り詰めた岸田周三氏が自身の体験談と共にエールを送ります。
そして、普段語られることの少ないフランス料理業界への深い想いに迫りました。今もなお、自らに新たな挑戦を課し続け、料理業界の課題と向き合い努力を惜しまないトップスターシェフ 岸田氏の姿を本インタビューを通じてお伝えします。

また、サステナビリティについてもテーマを広げていきます。日頃よりネスプレッソ リサイクルプログラム にご協力いただいている岸田シェフに、ご自身が注力するサステナブル活動の紹介と共に、その想いについても語っていただきました。※本記事は前編と後編で分かれています。

自分がまだ“何者でもない”と気付いた修業時代

フランス料理の継承者としての想い

― 早速ですが、修業時代のお話からお聞かせいただけますか?ご自身の料理人人生の半分以上をミシュラン三つ星レストランのシェフとして第一線で活躍し続けていらっしゃる岸田シェフですが、修行時代は長く不安な日々が続いたとおっしゃっています。どのような修行時代のスタートだったのか、そして、その体験を通して、今、料理人を目指している若い人達に伝えたいことはありますか?

そうですね。料理人という職業に限らないと思うのですが、若い頃は自分がまだ何者でもない位置からスタートして、夢に向かって努力を続ける中で、その夢に近づけているのかどうか手応えを感じづらい時期というのが誰にでもあると思うのです。 僕も例外なくそういう時期があって、一生懸命鍋を洗ったり、じゃがいもの皮むきながら、これで本当に一流の料理人に近づいているのかと疑問を感じていた時期がありました。
僕は、調理師学校を卒業して19歳で料理の道に入り、地方の大きなホテルで働いていたのですが、やることというのは分担作業ですごく細かく決まっていたんですね。毎日朝から晩までひたすら単純作業を繰り返していて、それがなんだか夢に向かっている実感が持てなくて。

それで、僕は休みに東京へ旅行して、レストランを食べ歩いて、東京と当時の自分のレベルを比べてみることにしたんです。料理人の世界の中で自分がどの辺に立っているのか測ってみたかったんですね。
3日間、昼夜昼夜と6回連続で東京のレストランを食べ歩いて、驚いたことにその6軒全てが恐ろしくレベルが高く、自分とのレベルの差に愕然としました。東京ではこれが当たり前のレベルなのか、と。まだ“自分は全く何者でもない”ということをその時に気付き、今すぐ変わらなきゃだめだ、と思ったんです。

それで、22歳の時に働いていた地方のホテルを辞めて東京に出て就職するんですけど、それまでもホテルで自分なりに頑張っていたつもりではあったのですが、東京で働いている人達はずっと先を進んでいて、この4年間のビハインドをどうやったら取り返せるんだろうとずっと考えていました。
その中で、自分の目標をきっちり立てなければ駄目だということに気が付いて。
僕がそれまで勤めていたホテルの総料理長が沢山の著書を出されている方だったのですが、ある本の中で「僕は30歳で料理長になった」と書かれていて、「30歳で料理長になれないやつは40歳になってもなれない」と書き添えてありました。確かにその通りだと思ったので、僕も絶対に30歳までに料理長になろうという目標をそこで1つ立てたんです。

そうすると、30歳までに料理長になるには、と逆算が始まるんですけど、料理長になるにはその前にフランスで3年は修行したいから、27歳でフランスに発っていなきゃいけない、27歳でフランスに行くためにはその前に語学学校に行かなきゃ、語学を習得するには1年はかかるだろうから26歳には語学学校に入学しないとまずい、じゃあ、語学学校に通うのにいくらかかる? 調べたら40万円かかったんですよ、当時の僕にはとんでもない大金で。そして、40万円という大金を26歳までに用意しないと僕の夢は達成できない、ということに気付くわけです。
そこから節約してお金を貯めたり、いろんなことに費やすとあっという間に時間が過ぎていってしまって、10年ぐらいあるかなと思っていた夢がよくよく考えたら全然時間がない、のんびりしている場合じゃなかったんですよね。

夢を達成するために取り組んだ大切なこと

フレンチレストラン「カンテサンス」岸田周三シェフ

― そこから、30歳までの年表を作り、1年毎に分割した夢を一つ一つ着実に達成しながら最終的な夢に向かって進んで行かれるのですね。22歳で具体的な目標設定をされてからは、シェフになるまでの道のりは順調なものだったのですか?

修行していて、苦しかったり、不安に思う事があると思うんですけど、じゃあ自分は何に対して怖がっているんだろうと考えると、一番怖いのはやっぱり将来に向かっている手応えがないことなんですよね。自分なりには毎日全力で頑張っているのに、手応えのない日々を過ごすというのは、ゴールの見えない真っ暗なトンネルを走っているような状況だと思うんです。真っ暗なトンネルの中をただ闇雲に、ゴールに向かって頑張って走ってくださいと言われても、ゴールまで後どのくらいの距離があって、どういうペースで走ればいいのか全くわからない、そこに不安が生じて、怖さを感じてしまうんだと思うんです。

僕は夢の達成に向かって努力をする中で、まず自分のポジションが欲しい、居場所が欲しいということを感じました。雑用しかやってなかった中で、この会社にとって自分が必要とされる人間になれていないということが手応えのなさに繋がっていたので、まずこの会社にとって必要とされる人間になろう、ということを考えたんですよね。
それで僕は普段の仕事をしながら、休みの日にはパン屋や菓子屋でも修行を始めました。
そうしてパン屋である程度知識を身に付けていた時、レストランで自家製パンを作ろうという話が出て、自分が最初に手を挙げることができたわけなんです。
「僕、その技術持ってます。やれます、やらせてください!」と。上司は最初僕の言葉に半信半疑でしたが、任せられた仕事は実際にそのレストランで僕にしかできなかった。そうすると、急に扱いが変わったんです。
代わりはいくらでもいる、という状況では、どうしても雑用に回されたり、誰にでもできる仕事をやらされるんですけど、この人にしかできないっていうものが生まれると、扱いが急に変わる。それは、真っ暗なトンネルの中を走っているような気がしていた中に、明かりが差すような感覚でした。
そこからは、その体験を手がかりにして、ここをもっと頑張ればもっといい扱いになるんじゃないか、もっと認められるんじゃないかって、どんどん気付きながら、更に技術を磨くようになります。
パン屋で修行して技術を身に付けたことによって自分は扱いが変わった、じゃあ、今度はお菓子の技術をもっと高めようとか、先輩が今やっている仕事を僕もできるようになったら、自分の扱いも先輩のようになるんじゃないかとか、仮説を立てて取り組んで行きました。今の自分のプラスアルファのことをすれば、それほど扱いが変わるってことに気が付いたので。

だから大事なのは、“一流シェフになりたい” という1個の大きな夢があったとしたら、それをどのように達成できるのか、細かく目標を分割する必要がある、ということを今の若い人達には良く話しています。
夢を実現するために、今の自分に何が足りないの?ということを書き出していくと10個、20個、30個…ってどんどん出てくると思うんですけど、逆を言うと、それを全部達成することができたら、夢を実現することができるということがわかってくる。
夢を30分割、40分割して1個ずつ達成したことにチェックマークをつけて行くと、自分が夢に向かってどこまで進んでいる、ということが理解できるようになります。
単純に考えると12年間で40個の目標を達成しなければいけないんだとしたら、6年間で20個達成できていなければこのペースでは夢は達成できない、というふうに。

そういうことをちゃんとやると、自分が夢に向かって正しく進んでいるということを実感できて、多少苦しいことや辛いことがあっても、今は目標を達成するための工程なんだと納得することができるんです。けど、何となくぼんやり、がむしゃらに努力していると何かつまらなくなってしまうことがあるので、やっぱり、より具体的に目標を立てて進んでいくという事がすごく大事なんじゃないかなと思います。

僕の場合は、1年に1個の夢を達成する年表を書いていたんですけど、その後、プロ野球選手の大谷翔平さんが曼荼羅チャートという、夢を64分割して目標を達成したという有名な話を知って、彼はたった3年間の間の夢を64分割したんですよね。2週間に1個を達成しなければならないくらい厳しいルールを自分に課して、やっぱり一流の人はすごいな、と思いました。
同じ目標設定ができるかと想像すると恐ろしく感じたんですけど、今自分がもう一度若い頃に戻れるとしたらもっともっと細分化した夢の分割をしていくなと思ったので、皆さんもそういう風にしていったら良いんじゃないかなと思っています。

最大の壁を突き抜ける

― 設定した目標の中で、特に達成が難しかったことはありましたか?

やっぱりある程度のポジションにならないと取り組めないこともたくさんあって。例えば、まだ入ったばかりの見習いの料理人がいきなり今日からちょっと経営の勉強したいんで決算書見せてくださいと言っても、何言ってるの、という話になります。修行には必ず踏むべき段階があって、一つこなしたら実績が一つ生まれる、そうするともうちょっとだけ難しいハードルを設定して、それを達成することで、また実績が生まれる。その実績の積み重ねで、こいつは優秀な人間なんだと周囲に認知されて行き、じゃあもっと難しい事やらせよう、もっとすごいことやらせよう、という風にどんどん新しいチャンスを呼び込みます。
シェフになるための重要な勉強は、そういう上のステージに行かないとできないことも多くあって、その最後のステージへブレイクスルーする時っていうのが一番難しいですね。
優秀な存在だと認めてもらえるか、認めてもらえないか、そこに大きな見えない壁が存在していて、そこを突き抜けない限りは何もできないし、逆に言うと、そこが最大の壁であって、突き抜けた後っていうのはそんなに苦しい時期はない。でもそれが若い頃には何か一生ずっと怒られ続けるのかな、とか、一生ガミガミ言われる仕事なのかなと錯覚してしまって、こんな仕事やりたくないよとか、こんなことやっても何もないならないよ、これ何か意味があるんですか、と思ってしまうんですけど、実際はそうではないんですよね。
シェフになるまで段階が何個もあるのに、いきなり100段飛びくらいするのは不可能ですから、やっぱり小さな成功体験を積み重ねながら一段一段進んで行くことが大事だと思います。

掴んだ運と支えて下さった方々への感謝

フレンチレストラン「カンテサンス」岸田周三シェフ

― 今までそのようにご自身で設定した目標を一つ一つ着実に達成しながら進んでこられ、夢を叶えられて、今の岸田シェフの成功の形があると思うのですが、そこには、沢山の方の支えもあり恩を感じていらっしゃるとおっしゃっていますね。それは具体的にどのような想いが背景にあるのでしょうか?

個人で努力はちゃんとして来たつもりなのですが、同時にたくさんの人に恵まれた事も実感しています。良い方達に出会えたと思いますし、すごく運も良かったと思います。
なので、自分の力だけでここまでのし上がったんだ、というつもりは全くなくて、いろんな方に助けてもらって今の自分がある、そう自覚していますし、これまで支えてくださった方々に大変感謝しています。

ただじゃあ、あなたはたまたま運が良かったんだね、と言われると、運を引き寄せることは誰にでも十分可能だと思っているんです。どこまでを運と捉えるか、その捉え方だと思うのですが、あの、「待ちぼうけ」っていう歌ありますよね。
畑で野良仕事をしていたら、ある日、ウサギが飛んできて目の前で切株に引っかかって倒れて幸運だった。こんなに楽に獲物が捕れるんだったら、汗水垂らして野良仕事をするのはバカらしい、次にウサギが切株に引っかかるのを寝て待とう、という…けど結局、二度とウサギは現れない、っていうそんな歌詞だったと思うのですが。
あの歌詞のように、運というものをウサギが目の前に来て足を引っ掛けて倒れてくれるものだと思うとしたら、それは奇跡に近いものがあって、でも逆を言うと、ウサギを遠くに見かけただけでも運が良いと考えることもできると思うんです。あ、あそこにウサギがいる、あれを捕まえることができれば、今日はごちそうだね、と。
運というものを、沢山転がっている中から自分の手の中にポトっと落ちてくるまで待つんだとしたら、それはさすがに確率が低すぎます。
手を伸ばせば届くところにあるのか、それとも駆け足で駆け寄る必要があるのか、何かの手段を必要としても努力したら掴める運なのか、そういう考え方の問題で、僕は少なくとも自分の手のひらに落ちてくるのをボケっと待っているのではなく、全力でそれを取りに行く努力はした。全力で努力すれば手に入れられる運だとしたら、それはもう運が良かったと考えるべきじゃないかと思うんですね。
結果、良い方々との出会いに繋がりましたし、多くの方の支えがあって今の自分があると思っています。

ここまでお話を伺うと、課題に直面する度に解決策を見出し、アクションを起こし、そこから新たな気付きを得て、更に事態を好転せる努力を重ねて来られたことが感じ取れます。
運や才能に頼るのではなく、絶え間のない努力を明確な目標に沿って必要な方向へ積み重ね、前のめりに取り組んで行かれたことで、大きな夢を掴み取られたのではないでしょうか。
岸田シェフにも、自分が何者だとも認めてもらえず悩み苦しんだ修業時代があった、ということ、努力次第で誰もが岸田シェフのように自分の夢を掴める可能性を持っている、ということが、今夢に向かって励んでいる方々の勇気に繋がればと願います。

ネスプレッソは、食のプロフェッショナル達を今後も応援して参ります。

後編では、岸田シェフにとってのフランス料理の魅力とは、料理業界の未来に想う事とは、など更に深い世界に迫って参ります。また、ネスプレッソのリサイクル プログラムにもご協力いただいている岸田シェフに、ご自身のサステナビリティに向けた活動と共に、その取り組みへの想いを語っていただきます。

後編の続きはこちら

レストラン カンテサンス 詳細情報

フレンチレストラン「カンテサンス」の店内

CHEF PROFILE
「カンテサンス」オーナーシェフ岸田周氏
1974年生まれ。愛知県出身。
三重の志摩観光ホテル「ラ・メール」や東京のフレンチレストランを経て2000年に渡仏。
各地のレストランで修行後、2003年にパリ16区「アストランス」でシェフのパスカル・バルボ氏に師事、翌年同店のスーシェフに就任。
帰国後、2006年に「カンテサンス」を開業、2013年に現在の品川区御殿山へ移転。
2007年、「ミシュランガイド東京」初年度2008版において最年少で三つ星を獲得、その後現在まで三つ星を維持する。

レストラン カンテサンス
メニューは素材の持ち味を最大限引き出すことを重んじた「おまかせの1コース」のみで、旬の素材により、メニューの内容はたえず変化する。新しい形の「キュイジーヌ・コンテンポレーヌ(現代的な料理)」を創造するとともに「次世代のスタンダード」を目指す、フレンチレストラン。
公式ホームページURL:https://www.quintessence.jp/


ネスプレッソは、「ミシュランガイド東京2025」のオフィシャルパートナーを務めています。

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